今回は編集の都合上、語られなかった史跡・寺社仏閣について書いていこうと思います。
もくじ
1,新潟県護国神社
2,西新井大師
3,越後須田城
【関連事項】
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1,新潟県護国神社
新潟県護国神社は、「戊辰戦争~第二次大戦」で国家のために命を賭した英霊が祀られている神社で、靖国神社のような存在にあたる。
明治元年に戊辰戦争の戦没者を供養する「招魂社」としてスタート。明治8年に「新潟招魂社」となり、10年には社殿が新造された。
昭和14年には内務省の命令で、「新潟県護国神社」となり、現在に至る。
近くには「マリンピア日本海」という水族館もあるので、子供連れの人はここに立ち寄ったあと、そちらへ立ち寄るのもよいだろう。
2,西新井大師
正式名称は五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういんそうじじ)。宗派は真言宗豊山派。
天長年間に弘法大師(空海)が関東を訪れた際に、流行り病で苦しむ村人を救うために十一面観音像とご自身の像を彫った。十一面観音像を本尊とし、自身の像を枯れ井戸に安置して21日間の護摩祈願をおこなった。
すると清らかな水が湧き出てきて、流行っていた病はすぐに平癒したと伝えられている。
また、件の井戸がお堂の西側にあったことから、「西新井」という地名ができたそうだ。
空海には、「杖で突いたら湧き水が出た」といった類の伝承が各地に伝わっていることから、「水脈がある場所がわかったのでは?」と考えられるが、何かと不思議な人物で考えれば考えるほどいろんな説が出るのでここまでにしておこう。
西新井大師に行くのであれば、ゴールデンウイークがオススメだ。
上の2枚の画像にもあるように、藤の花が見ごろで、牡丹の展示を本殿でやっているからだ。
3,越後須田城(地蔵院)
第34回で紹介した青海神社の後に行った場所。上杉家の家臣であった須田氏の居城が置かれたところ。
須田氏は元々、北信濃の須田郷という場所を治めていた国衆だった。だが、武田信玄の信濃侵攻による工作活動により一族の中で、「武田家につくべし」という「武田派」と、「先祖代々の領地は死守せねば!」と抗戦を訴える「保守派」に分裂。須田郷が落ちた後、保守派は越後に逃亡し、敵対していた上杉謙信を頼り、加茂に城を築いた。それが越後須田城らしい。
上の2枚の画像が示すように、現在は住宅街や畑の一部となっているため、城郭によくあるような、土塁や堀といった遺構は残っていない。
【参考文献】
新潟県総鎮護 新潟県護国神社『由緒』(http://www.niigata-gokoku.or.jp/history/)
西新井大師『西新井大師のご案内』(https://www.nishiaraidaishi.or.jp/info/)
武家家伝『須田氏』(http://www2.harimaya.com/sengoku/html/s_suda2.html)
─越後の城─『須田城』(http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kamo/suda.html)
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